ギフテッド教育のパイオニアでもあり、すべての子のための才能教育、個別化・個性化教育「SEM(全校拡充モデル)」を開発された、アメリカコネチカット大学のジョセフ・レンズーリ教授のインタビュー動画に続き、レンズーリ教授の共同研究者であるサリー・リース教授のインタビュー動画を公開します。
レンズーリ先生の動画公開の記事はこちら
リース先生は、レンズーリ先生の公私共にパートナーで、NAGC(National Association for Gifted Children)の元会長でもいらっしゃいます。
リース先生には、
個別最適な学びの方法
LD、ADHD、ASDなどの特性を持つ2Eの子どもたちとの学び
SEMにおける、学びの循環や相互作用
などについて、お話ししていただいています。
今回も質問をご提供くださった関西大学名誉教授の松村先生によると、中でも、2e-ASDプロジェクトのお話は、大変貴重なものだそうです。
※字幕は「日本語」をお選びください。
インタビュー&翻訳字幕は、前回同様、知久麻衣氏が行いました。
リース先生は、どの質問にも、真摯に丁寧に答えてくださっています。
終盤には、レンズーリ先生も再登場されます。
有識者会議の「審議のまとめ」
さて、「特異な才能」のある子どもたちの支援に関する有識者会議が、2022年9月末に「審議のまとめ」の最終案をとりまとめました。
この「審議のまとめ」をもとに、文科省が、予算措置を含めた施策を実行していくことになります。
「審議のまとめ」はこちらから
まとめの素案が発表されて以降、マスコミがこぞって、急に、「ギフテッドの支援」という切り口で、取り上げ始めました。
有識者会議での委員のみなさまの真摯な議論の過程は無視したかのような、思い込みと紋切り型の報道が目立ち、SNS等では、当の子どもたちが置き去りにされるような「炎上」もありました。
いろんなご意見があるでしょうが、子どもはみな同じ子どもです。
学ばなくていい、育たなくていい、幸せにならなくていい子どもは、人は、いません。
「審議のまとめ」の一番の肝は、ここでしょう。
私たちが実施したアンケート調査や国民の皆様からの意見募集においては、 子供たち自身を含め多くの方から切実な思いが寄せられた。私たちは、こうした切実な思いを受け止め、その才能や特性があるがゆえに学習上、生活上の困難を抱えている子供たちがもっと身近にいるとの認識を持ちながら、日々、真摯に子供たちに向き合っている教師や学校、そして保護者や地域を支えていくことが 重要であると考える。
児童生徒を特定の基準で選抜し特別なプログラム等を提供することを目指すものではなく、特異な才能のある児童生徒を含む全ての子供たちが多様性を認め合い、高め合える個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として指導・支援の在り方を考えていくことを基本的な考え方としている。本有識者会議としては、こうした基本的な考え方の下、特異な才能のある児童生徒についても、その才能や特性ゆえに学校で著しい困難を抱えている場合に、その困難に着目し、その様子と周囲の環境との相互作用を考慮しながら、困難を解消するとともに才能を伸ばしていくことを目指している。
「審議のまとめ」p2〜3より
高い能力を持っている子ども、ある部分(それは、学科といった枠を超えて)に「才能」の片鱗を見せる子どもが、ごく身近に確かにいること、そして、これまではいないものとされてきたこと、これ自体を議論の俎上に載せるのが、この有識者会議の一番の役割だったと思います。
審議のまとめには「多様性を認め合う」という副題がついていますが、これはなにも仰々しいものではなく、「こんな子もいるんだな」「こんな子もいるのね」と、ただ自然にそう思うくらいのことでよく、「教室内のすべての子は、能力を含め一人一人違うのが当たり前」という世界線を共有することだと思います。
個別最適な学びとはなにか
「個別最適な学び」「協働的な学び」というワードは、中教審答申で打ち出されており、学校現場にも、かなり浸透してきたようです。
ですが、教員の方からは、どうやって「個別最適」で「協働的」な学びをすればいいのか分からない、そもそも「個別最適な学び」ってなにかがまだ分からない、という戸惑いの声も聞きます。
この「個別最適」についても、インタビュー動画でリース先生がお答えくださっています。
「個別最適」は、アメリカにあっても簡単な道のりではなかったとのこと。
ですが、「簡単ではない」「難しい」は、やらないことの理由にはならないと思います。
また別の側面で、「個別最適」を、効率化を目的としたものととらえたり、教育効果の面からのみ見たりする方も多いようです。
これは十分に警戒すべき論点ではありますが、だからこそ、「個別最適な学びとは何か」「何のための誰のためのものなのか」を考える必要があるでしょう。
「個別最適」は、本来、子どもの学びのニーズ、学びの個性に応えるものであり、学習権の保障、つまり人権の話だと思います。
人権の話をするときに、「難しいから」や「効果の有無」は論点にはなりません。
もちろん、学校の現場で働く先生方にも、当然人権がありますから、学校という場自体が、大人も子どもも、それぞれが尊重される、安心で楽しい場にならなければならないでしょう。
今回の一連のインタビューで、レンズーリ先生が幾度となく、「SEMは、学校を教師にとってもワクワクする場にするもの」「教師が楽しくなれば子どもも楽しくなる」とおっしゃっています。
私たちは、「学校はみんなでしんどいことを我慢するところ」という教育観・価値観を変える必要があるのだと思います。
最後に、有識者会議のまとめの言葉として、各委員のみなさんのコメントをご紹介したいと思います。
私たちの活動もですが、「だれを対象にしているのか」という、ラベルやカテゴリーありきの発想ではなく、さまざまな個性や特性を持ったあらゆるすべての子が、その「自分らしさ」を肯定し、「才能の芽」を育てるには、どのような教育や社会になればいいのか、どんな方法があるのか、変わるべきはどこなのか、そういう思いが垣間見えるのではないかなと思います。
理念やお題目だけでは何も変わりませんが、理念がなければやる意味がありません。
私たち一人ひとりに、理念を実現する役割があると思っています。
〜委員のみなさんの言葉から〜
今まで焦点が当たらなかった子どもたちを含めた「すべての子」の見方を変える
これまでの最大公約数的な教育からの転換を促すメッセージが込められている
「国のため」ありきではなく、「一人一人のニーズや困り感」に応ずる
「困り感」は訴えていいのだ
一人一人、全員に可能性があって、その可能性を肯定していくという文化への変革を提示
文化変革のためのインクルーシブな制度が必要
一人ひとりは違うということに気づくまでに時間がかかるかもしれない
多様性の理解は自分自身の理解につながる
まずはやってみよう、巻きこんでいこう
寄せられた当事者・子どもの意見を教員の研修にも
子どもに合わせた学びのメニューの作り方
人間の才能ってどういうものなんだろうかという価値観についての熟考
子どもたちが幸福に生きて、自分らしく学んでいくことが最優先項目
多様な人たちがそれぞれの力を発揮して共存していく世界
平等というよりも公正な教育のあり方
一人ひとりのニーズに合わせるとはなんなのか?のマイルストーン
「才能」による困難ゆえの不登校への支援
この会議を開催したことで可視化された「困っている」子どもとその保護者の存在
(文責 上田)
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