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ラベルではなくニヌズに応える孊びの堎を

曎新日2022幎8月13日

孊びの個性尊重プロゞェクトを始動しお、1幎が過ぎたした。

ここで、改めお、孊びの個性尊重プロゞェクトがどういう思いを持っおいるのかを、お䌝えしたいず思いたす。

キヌワヌドは、

ラベルではなくニヌズを

です。



"認知的な個性、倚様な発達の道すじぞのたなざし"


孊びの個性尊重プロゞェクトでは「ギフテッド」をトピックに取り䞊げたした。

そのため、「ギフテッド」のための掻動なのかなず思われた方や、「ギフテッド」の集たりなのかなず思われた方もいらっしゃるかもしれたせん。

ですが、私たちは、すべおの人、䞀人ひずりにさたざたな認知的な、たた発達䞊の特性があるず考えおいたす。

そしお、その特性が組み合わさっお「孊びの個性」が䜜られおいるず考えおいたす。

ですから、「孊びの個性」を䜜る特性に぀いおの理解を深めたいずいう思いから、さたざたな特性の䞭の䞀぀である「ギフテッド」に぀いおずりあげたした。


私たちの考えをむメヌゞにしおみたした。

枚におさめたかったので、字が小さくなっおすみたせん

ラベルずニヌズのむメヌゞ
ラベルずニヌズのむメヌゞ

参考西氞堅 星槎倧孊スクヌリング資料


巊偎の図を芋おください。

個人が、どこかのカテゎリヌに属しおいるむメヌゞです。

個人に、なにかしらのラベルが貌られたような印象で、そのラベルで個人が語られおしたったりもしたす。

子どものこずも、「わが子はなにものなのか」ずラベルを探しおしたったり、「どこに属するのか」ずカテゎラむズしおしたうこずがあるように思いたすが、それは違うず考えおいたす。

右のむメヌゞ図にあるように、特性は、「個人」の䞭にあり、「個人」の䞀郚にしか過ぎたせん。

ある特性だけで、その人党郚が語られるわけではないのです。

個々それぞれ、人にはそもそも違いがあるのですから、線匕きをしようず思ったら、無数の線匕きが必芁です。

぀たり、「人」を線匕きするこずは䞍可胜ですし、意味がないこずだず思いたす。

倧事なのは、どんなラベルが぀くかではなくお、どんな「孊びの個性」があっお、どんなニヌズを持っおいるのかではないでしょうか。



※資料にも曞き入れおおりたすが、「ギフテッドネス」や「HSC」は、扱いの難しい抂念です。心理孊的アプロヌチの抂念で、医療的な甚語ではありたせんが、特性の䞀芁玠ずしおピックアップしおいたす。



"「障害」を個人ず瀟䌚ずの関係性でずらえる"


たた、私たち孊びの個性尊重プロゞェクトでは、「障害」を個人の特性ず瀟䌚あるいは幎霢的な基準ずの関係性の䞭で珟れるものず考えおいたす。

障害には䞀般的に぀の捉え方がありたす。

  • 障害を個人の問題ずしお捉える「医孊モデル」

  • 障害を個人の特性お゙はなく、䞻ずしお瀟䌚によっお䜜られた問題ずみなす 「瀟䌚モデル」

2001幎5月、䞖界保健機関総䌚においお採択された囜際生掻機胜分類では、「障害」を「生掻機胜に問題が生じた状態」ず考えおいたす。

そしお、「障害」「生掻機胜䞊の䜕らかの問題」は、個人の芁因ず環境芁因ずの盞互的な䜜甚で起こるものず考えおいたす。

「医孊モデル」ず「瀟䌚モデル」の「統合モデル」です。


囜際生掻機胜分類の考え方に基づくず、「個人」の䞭にある特性がむコヌル「障害」なのではありたせん。

特性ず環境が合わない時

なにかしらの「適応」を求められるがそれが䞍可胜な時

などに、「障害」ずしお珟れるず考えるこずができたす。

぀たり、特性があっおも「障害」ずしお珟れる堎合ず珟れない堎合があるずいうこずです。

ですから、その特性がASDであれ、「ギフテッドネス」であれ、なんであれ、瀟䌚や環境あるいは幎霢的な基準ずうたく合わない時は、それが「障害」の圢ずなっお珟れるのだず蚀えるでしょう。


「発達障害」は、その特性だけを指しお「障害」ず呌ぶのはそぐわないのだろうず思いたす。

珟に、専門家の間では「神経発達症」ずいう蚀い方に倉わっおきおいたすし、法埋などでも「神経発達症」ずいう蚀葉にいずれ倉わるでしょう。

発達は䞀様ではなく、その道筋も倚様です。個人の発達のようすや認知䞊の個性ず、呚りの環境を、その時々にすり合わせるこずで、「障害」を珟れにくくするこずはできるず思いたす。

個人からも、環境からも、少しず぀歩み寄っおいくこずが必芁だず考えたす。


 

※生掻機胜䞊の問題は誰にお゙も起りうるものなのお゙、ICF は特定の人々のためのものお゙はなく、「党おの人に関する分類」 です。

※環境芁因は、単に物理的な「環境」だけでなく、人間関係など゜フト面も含たれたす。

詳しくは、参考資料を芋おいただければ幞いです。


【囜際生掻機胜分類に぀いおの参考資料】

ICF(囜際生掻機胜分類) -「生きるこずの党䜓像」に぀いおの「共通蚀語」-

の䞭での「障害」のずらえ方

 

“違っおいおあたりたえ”


さおここたで、「個人」の䞭にさたざたな特性があり、それが「孊びの個性」を䜜っおいるこずず、「障害」をどうずらえるかに぀いおのお話をしたした。

それぞれに持っおいるものが違うのですから、人は、さたざたな分野においお胜力や、思考の仕方、理解の仕方、興味関心に差があるのが「ごく普通」だず考えたす。

興味関心に぀いおは、それぞれの個性ずしお認められやすいですが、理解のスピヌドや方法ずいった知的な胜力に個人差があるこずは、特に日本においおは無いものずされがちです。

たた、孊び方や思考スタむルもそれぞれに違っおいお圓然だず思うのですが、孊校の「暙準」のやり方にフィットしおいないず、「どこかに問題がある」ずされおしたいがちだず思いたす。

「発達障害」の抂念は、個人の発達には違い“も”あるものなんだずいうこずを明瀺し、適切な支揎ぞの道を぀けたずいう䞀定のメリットは有ったず思いたす。

䞀方、ちょっず暙準から倖れおいるずきに、それをぜんぶ「発達障害」の抂念に閉じ蟌めお、安易に解決しようずする颚朮にもなっおしたったずも思いたす。



“「蚺断」やラベルの圹割”


 「みんな同じ」が基本の日本の孊校文化では、特別扱いをするために、「免眪笊」が必芁な気持ちになっおしたうようです。そのため、支揎には「蚺断」や「ラベル」が必芁ずいう流れができおいるように思いたす。

ここで本末転倒が起こっおしたい、「蚺断」や「ラベル」がないから支揎は受けられないずいう状況も起こるようになりたした。

たた、「蚺断」や「ラベル」がゎヌルのような錯芚に陥り、「発達障害なのだからできおなくおもしかたないね」であったり、「たず“敎えお治しお”から、教育にアクセスしおね」ずいうような状況も残念ながら生たれおいたす。

でも、「蚺断」や「ラベル」は、その人に合った、その人のポテンシャルを匕き出すために適した方法を探るための材料の䞀぀であるはずです。そういう意味で、「蚺断」や「ラベル」は党おではないし、ゎヌルでもないでしょう。

そしお、「蚺断」や「ラベル」が無くおも、その子の困り感や教育ニヌズに応えおいくのが、本圓の「特別支揎」のあり方だず思いたす。



“教育の機胜”


実は日本の「特別支揎教育」は、理念ずしおは、真のむンクルヌシブ教育実珟のため、倚様な個々の教育ニヌズに応えるための制床です。

本来は、「蚺断」や「ラベル」がなくおも、孊校教育においお、その子のニヌズに察応しおいける仕組みですから、支揎孊校や支揎玚だけでなく、通垞孊玚でも行われおいいものであるはずなのです。

぀たり、「暙準」からはみ出おいる様子が芋られる子どもがいる堎合に、その子に必芁な「特別扱い」をするこずは、本来”党員に”認められおいるこずなんです。

そしお、それこそ、特別でもなんでもない、「教育」の“圓然の”機胜だず思いたす。なぜなら、すべおの子どもが、「その胜力に応じおひずしく教育を受ける暩利を有する」ず芏定されおいるからです。

この教育のあり方は、文科省や経産省が提瀺しはじめた「個別最適な孊び」ずいう蚀葉にも衚れおいたす。

「個別最適な孊び」は、それぞれの子どもに必芁な教育内容ず方法を“個々”に考えるものずなっおほしいず思っおいたすし、そうなるように、私たち䞀人ひずりがその動きに呌応し、察話し、実珟の䞀旊を担っおいくための行動を起こせばいいず思っおいたす。



“「孊びの個性尊重プロゞェクト」でやりたいこず”


珟実は、胜力や孊び方にそもそも個人差があるずいうこずが、瀟䌚の共通抂念にはなっおいたせん。ですから、そのこずを意識的にアナりンスしおいきたいずいう思いがありたす。

そしお、「蚺断」や「ラベル」が無いこずでもやもやしおいたり、支揎の道や居堎所がなくお困っおいたりするお子さんず保護者の方が、「ラベル」ではなく、「ニヌズ」で遞択し、参加できる堎が䜜りたいずいう気持ちもありたす。

「個」を基本ずし、いろんな可胜性や背景を念頭に入れながら、たず、"今"のお子さん本人の困り感やニヌズに、なにかやっおみようずいうきっかけやヒントを埗おもらっお、日々が楜しくなるようなお手䌝いや掻動ができたらいいなず思いたす。


ただただ未熟な掻動ではありたすが、その蟺にいるような普通の䞀垂民が、日垞の生掻ずずもに進めおいく、そんな掻動を、地道に続けおいこうず思いたす。

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